
学術研究
焼津小泉八雲記念館
学芸員
学芸員
那須野 絢子さん
Uターン
30代
静岡県焼津市
= Profile =
静岡県焼津市出身。早稲田大学文学部を卒業し、大学卒業後は旅行会社へ就職。静岡支店での勤務を経て、焼津小泉八雲記念館の学芸員に。現在は、日本大学国際関係学部(三島キャンパス)で非常勤講師も勤めている。おすすめの八雲作品は『焼津にて』。きっかけ ~UIターンまでの経緯~
小泉八雲の資料を保存・伝承する仕事
私はいま、焼津小泉八雲記念館の学芸員をしています。例えば、焼津市が所蔵している八雲の資料の調査や保存、整理を行ったり、展示会を開催したりしています。あまり知られていないんですが、八雲と焼津には関係があって、焼津を舞台にした作品も残っているほどです。
八雲が初めて焼津に訪れたのは、いまからちょうど120年前。焼津の深く、荒い海を気に入って、晩年のほとんどの夏を焼津で過ごしたそうです。私も焼津の、それこそ海の方で育ちましたから、小学校で八雲を習いました。習ったといっても、知っている八雲の作品は『耳なし芳一』や『雪おんな』くらいですが。
でも、たまたま八雲にかかわる機会が大学の卒論のときにあったんです。大学は早稲田大学で19世紀のイギリスの幻想文学を学んでいました。調べていくうちに八雲にいきついて、読み進めていくうちに八雲のいろいろな側面に興味関心を抱いて、熱中して読むようになったんです。
卒業後は、研究職に憧れはあったものの、静岡に支店のある旅行会社に就職しました。でもちょうど旅行会社に勤めて2年が経った頃に、この記念館が建てられて学芸員を募集していたんです。学芸員になりたい意思は別になかったんですけど、故郷とゆかりがあって、大学時代にも勉強した小泉八雲に縁を感じて応募しました。
八雲が初めて焼津に訪れたのは、いまからちょうど120年前。焼津の深く、荒い海を気に入って、晩年のほとんどの夏を焼津で過ごしたそうです。私も焼津の、それこそ海の方で育ちましたから、小学校で八雲を習いました。習ったといっても、知っている八雲の作品は『耳なし芳一』や『雪おんな』くらいですが。
でも、たまたま八雲にかかわる機会が大学の卒論のときにあったんです。大学は早稲田大学で19世紀のイギリスの幻想文学を学んでいました。調べていくうちに八雲にいきついて、読み進めていくうちに八雲のいろいろな側面に興味関心を抱いて、熱中して読むようになったんです。
卒業後は、研究職に憧れはあったものの、静岡に支店のある旅行会社に就職しました。でもちょうど旅行会社に勤めて2年が経った頃に、この記念館が建てられて学芸員を募集していたんです。学芸員になりたい意思は別になかったんですけど、故郷とゆかりがあって、大学時代にも勉強した小泉八雲に縁を感じて応募しました。
仕事について
アカデミックな拠点としての焼津
今年、当館は開館10周年を迎えます。私も開館と同時に働きはじめたので、10年目になりますね。ちょうど今は10周年の冠をつけた展示会やイベント、講演会を年間を通して行っているところです。こういう施設は一歩間違うと箱物になってしまうんですが、焼津と八雲の関係はただ訪れただけに留まりません。
実際に焼津を舞台とした作品を書いていますし、それらの作品は文学者として評価を受けています。それに意外に思われるかもしれませんが、海外からも八雲を目当てに焼津に来られる方がいるんですよ。当館には、焼津から八雲が奥さんに出した直筆の日記も残っていて、外国籍である八雲の日本語の能力もわかるんです。結構、言語学者の方が研究の資料にされていますね。この夏も、カリフォルニア大学の民俗学の先生が来られました。
八雲に特化した記念館は松江に次いで焼津は2番目です。松江に比べてアクセスもいいですから、「焼津に行けば何かわかるんじゃないか」とこうした研究者や新聞記者からオファーがあります。ここは、焼津と八雲のつながりを広めていくだけじゃなくて、小泉八雲をアカデミックにとらえた拠点としても確立していけると感じました。いろんな切り口で展開していけば、また新たに八雲に出会ってくれる人が増えていくと思うんです。
実際に焼津を舞台とした作品を書いていますし、それらの作品は文学者として評価を受けています。それに意外に思われるかもしれませんが、海外からも八雲を目当てに焼津に来られる方がいるんですよ。当館には、焼津から八雲が奥さんに出した直筆の日記も残っていて、外国籍である八雲の日本語の能力もわかるんです。結構、言語学者の方が研究の資料にされていますね。この夏も、カリフォルニア大学の民俗学の先生が来られました。
八雲に特化した記念館は松江に次いで焼津は2番目です。松江に比べてアクセスもいいですから、「焼津に行けば何かわかるんじゃないか」とこうした研究者や新聞記者からオファーがあります。ここは、焼津と八雲のつながりを広めていくだけじゃなくて、小泉八雲をアカデミックにとらえた拠点としても確立していけると感じました。いろんな切り口で展開していけば、また新たに八雲に出会ってくれる人が増えていくと思うんです。
プライベートについて
オンは学芸員、オフは大学?
ここは週休2日なんですが、当館は月曜日が休館日で、もう一日は曜日固定で休みを取ることができます。働きはじめた2010年頃から平日の休日を使って、かねてから行きたいと思っていた大学院に進学しました。働きながら卒業できるか不安もあったので、はじめは科目履修生として講義を受講しました。大学院は、静岡県立大学の国際関係研究科。そこで研究をしながら、学芸員の仕事にも活かしていくという生活でした。
実は今も大きく生活は変わっていなくて、休日のうち1日は日本大学国際関係学部で非常勤講師をしています。やっぱり「研究職に就きたい」という夢が昔からあったんですよね。ここの学芸員としてのキャリアを活かしながら大学で働きたいと思っていて、去年から働きはじめました。今は、英語や英文学の原典購読などの授業を担当しています。
大学で八雲を扱っていて改めて思ったのは、英語を学ぶ教材としても八雲作品はいいですし、あと国際関係を考えたときにも八雲自身がとてもメッセージ性のある人だということです。焼津には、世界に発信できる材料が本当にあるんです。そのためには当館をもっといろんな人に見せていけるような収集・調査・研究を進めていかないといけません。情熱を持って先につなげていく取り組みをしていきたいですね。
実は今も大きく生活は変わっていなくて、休日のうち1日は日本大学国際関係学部で非常勤講師をしています。やっぱり「研究職に就きたい」という夢が昔からあったんですよね。ここの学芸員としてのキャリアを活かしながら大学で働きたいと思っていて、去年から働きはじめました。今は、英語や英文学の原典購読などの授業を担当しています。
大学で八雲を扱っていて改めて思ったのは、英語を学ぶ教材としても八雲作品はいいですし、あと国際関係を考えたときにも八雲自身がとてもメッセージ性のある人だということです。焼津には、世界に発信できる材料が本当にあるんです。そのためには当館をもっといろんな人に見せていけるような収集・調査・研究を進めていかないといけません。情熱を持って先につなげていく取り組みをしていきたいですね。

那須野 絢子さんがオススメする焼津のイイトコ
「ディスカバリーパーク焼津天文科学館」
那須野さんが東京時代の友だちが焼津に来たときに連れて行くというのが「ディスカバリーパーク焼津天文科学館」。「海沿いにあって海も見えるので、とてもおすすめです」と那須野さん。プラネタリウムをみたあと、展望台から海を眺めるのがお気に入りなのだそうです。JR焼津駅から車で約20分。
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