
建設業
株式会社橋本組
杉本 裕紀さん
Iターン
20代
静岡県静岡市清水区
= Profile =
1993年静岡県静岡市清水区生まれ。祖父母の住まいが焼津のため、幼少期は月に1回ほど焼津へ。「将来は土木に関わる仕事をしたい」という思いから、大学は土木工学科のある東海大学へ進学。卒業後は自身ともゆかりのある焼津の歴史ある建設会社、株式会社橋本組で現場監督を務めている。自分の知っているまちを現場にしたい
僕の出身は清水で、大学は神奈川県にある東海大学に通っていました。一度は静岡から出て、一人暮らしをしたいと思っていたので、県外に進学することに抵抗はありませんでしたが、当時から就職は静岡県でしようと思っていました。静岡が好きでしたし、高校時代から手に職といいますか、土木に興味があったんです。
土木を仕事にしていくのであれば、やはり自分の知っている町の道路や建物などを直したり、新しく何かを作ったりしたほうがやりがいあるじゃないですか。たまたま静岡には土木を専門に学べる大学はなかったので、土木工学科のある東海大学に進学することにしましたが、静岡から離れることはあまり考えていませんでしたね。
卒業後は、創業95年という歴史ある焼津市の建設会社、橋本組に入社しました。実は、僕の実家は清水ですが、母方の祖父母が焼津出身なんです。なので、自分のなかでは焼津は地元というような気持ちがありました。幼少期から高校生の頃まで、月に1回は必ず遊びに行っていましたしね。入社が決まったときは、親はもちろんですけど、祖父母がすごく喜んでくれて……。祖父母はずっと焼津で暮らしているので、橋本組のこともよく知っているんですよね。家族が喜んでくれている姿に僕自身もうれしくなりました。
土木を仕事にしていくのであれば、やはり自分の知っている町の道路や建物などを直したり、新しく何かを作ったりしたほうがやりがいあるじゃないですか。たまたま静岡には土木を専門に学べる大学はなかったので、土木工学科のある東海大学に進学することにしましたが、静岡から離れることはあまり考えていませんでしたね。
卒業後は、創業95年という歴史ある焼津市の建設会社、橋本組に入社しました。実は、僕の実家は清水ですが、母方の祖父母が焼津出身なんです。なので、自分のなかでは焼津は地元というような気持ちがありました。幼少期から高校生の頃まで、月に1回は必ず遊びに行っていましたしね。入社が決まったときは、親はもちろんですけど、祖父母がすごく喜んでくれて……。祖父母はずっと焼津で暮らしているので、橋本組のこともよく知っているんですよね。家族が喜んでくれている姿に僕自身もうれしくなりました。
まちの風景をつくる建設業の仕事
橋本組は入社すると、現場監督を務める工務部や営業部などに配属されますが、僕は入社時から工務部で現場の管理を行っています。今は焼津港で「土留工」という工事をしています。まず海中の地盤が崩れないように矢板を打ち、そして地盤の上に小さな石を置きます。さらにそれらの石が転がらないように、大きな石を置いていきます。矢板はそれらの石を固定する役割です。
今年で入社2年目で、現場の職人さんたちから「監督さん」と呼ばれていますが、まだまだ独り立ちへの道は険しいです。工期通りに進むように、先を見て動いていかなくてはいけないんですが、天候や風向きを見極めることが難しいんです。例えば、台風前の晴れの日は、土留工のような海が現場だと、晴れていても海中は波の影響が意外とある場合があります。波の状況や風向きをチェックしながら、工事を進められる部分を定めていきます。
事前準備の変動は大変ですが、僕らがつくる道路や橋は、今後も後世に残っていくものです。インフラは生活に欠かせないものなので、そこに携われることはやりがいがあるなと感じます。いまの現場も、最終的には桟橋をつくります。一つの現場にかかる時間は、だいたい半年。視野を広げながら、形になっていく過程は喜びもひとしおです。
今年で入社2年目で、現場の職人さんたちから「監督さん」と呼ばれていますが、まだまだ独り立ちへの道は険しいです。工期通りに進むように、先を見て動いていかなくてはいけないんですが、天候や風向きを見極めることが難しいんです。例えば、台風前の晴れの日は、土留工のような海が現場だと、晴れていても海中は波の影響が意外とある場合があります。波の状況や風向きをチェックしながら、工事を進められる部分を定めていきます。
事前準備の変動は大変ですが、僕らがつくる道路や橋は、今後も後世に残っていくものです。インフラは生活に欠かせないものなので、そこに携われることはやりがいがあるなと感じます。いまの現場も、最終的には桟橋をつくります。一つの現場にかかる時間は、だいたい半年。視野を広げながら、形になっていく過程は喜びもひとしおです。

杉本 裕紀さんが働く会社について
建設業
株式会社橋本組
創業94年目、静岡県で公共事業、民間事業、個人住宅で地域の貢献している会社です。静岡県中部を基盤に公共事業で培った技術を民間に転用し、建築やデべロッパー活動等お客様本位の事業活動にも積極的に進出しております。どこにでもある風景は意外とない
僕は焼津の、どこにでもあるような景色が好きです。海の印象が強いと思いますが、田んぼが多くて、そういう原風景が残っています。幼少期におばあちゃんの家に行っていたときは気付きませんでしたが、「こういう風景って落ち着くなあ、いいなあ」と思いました。どこにでもある風景って、どこにでもあるけど、どこにでもあるわけではない。そんなことを高校生くらいのときに思いました。
僕は大学が神奈川でしたが、やっぱり神奈川や東京は暮らしてみて、忙しない印象がありました。住み慣れたまちということもありますが、静岡の方が、時間が多少はゆっくり流れているように感じます。自然もあって、魚も美味しくて、僕の一番の趣味でもあるサッカー観戦も気軽にできます。
祖父母とも縁のある焼津に戻ってきてよかったなと何より感じるのは、仕事でのやりがいですね。例えば、吉田町の防災公園の管理棟「オアシス館」は僕が入社してまもない頃に携わりました。自分の知っているまちの日常につくったものが残っていくことがモチベーションにつながっています。友達とか親とか、おばあちゃんとかに「これ直したんだよ」っていうと、わかってもらえる。焼津の暮らしに密接に関わる仕事をしているからこそ、うれしいなと思える瞬間です。
僕は大学が神奈川でしたが、やっぱり神奈川や東京は暮らしてみて、忙しない印象がありました。住み慣れたまちということもありますが、静岡の方が、時間が多少はゆっくり流れているように感じます。自然もあって、魚も美味しくて、僕の一番の趣味でもあるサッカー観戦も気軽にできます。
祖父母とも縁のある焼津に戻ってきてよかったなと何より感じるのは、仕事でのやりがいですね。例えば、吉田町の防災公園の管理棟「オアシス館」は僕が入社してまもない頃に携わりました。自分の知っているまちの日常につくったものが残っていくことがモチベーションにつながっています。友達とか親とか、おばあちゃんとかに「これ直したんだよ」っていうと、わかってもらえる。焼津の暮らしに密接に関わる仕事をしているからこそ、うれしいなと思える瞬間です。

杉本 裕紀さんがオススメする焼津のイイトコ
「大崩海岸」
幼少期から焼津にある祖父母のもとに通っていたという杉本さんのお気に入りスポットは、大崩海岸。静岡市との境にある海岸で、その断崖と海のコントラストは迫力があります。「気分転換をしたいときに、よく車で通ります」と杉本さん。東名焼津ICから約10分。
幼少期から焼津にある祖父母のもとに通っていたという杉本さんのお気に入りスポットは、大崩海岸。静岡市との境にある海岸で、その断崖と海のコントラストは迫力があります。「気分転換をしたいときに、よく車で通ります」と杉本さん。東名焼津ICから約10分。