
介護、福祉
コミュニティホーム 長者の森
取締役
取締役
石原 孝之さん
Iターン
30代
静岡県藤枝市
= Profile =
1980年静岡県藤枝市生まれ。結婚を機に焼津市へ。義理の祖父が介護施設をオープンしたことをきっかけに、25歳のときに介護の世界へ。介護の現場に入る前までは藤枝で土木の仕事をしていたそう。2003年にオープンした長者の森は、介護と保育を融合させた共生施設として注目を集め、厚生労働省のHPにも宅幼老所の取組として掲載されている。はじまりは「どん底の底」から
もともと長者の森は、百姓だった義祖父が88歳のときに建てたものなんですよ。豊田第8自治会で自治会長を務めていて、この地域のことをすごく大事にしていた人だったみたいで、現在は認知症になってしまったんだけど、義祖父の生き様から「地域に貢献したい」という気持ちが伝わってくるんです。
実はコミュニティホーム長者の森って、はじめはどん底から始まった会社なんですよ。グランドオープンして一か月経った頃、義祖父以外の役員がいなくなってしまった。いわゆる骨抜きの形にされてしまったんです。ケアのクオリティもバラバラで低く、周りからも「つぶれる」と言われていたほどです。オープンして5~6年間は経営者としての正念場でしたね。
だから、自分は藤枝から婿に入った形になるんだけど、ヘルパー2級をとって、25歳のタイミングで「経営者」として介護の現場に入ることにしました。でも、たかだかヘルパー2級をとったくらいでは周りはついてこない。実務の経験を積み上げながら、介護福祉士やケアマネージャーの資格をとって、資格と経験値を増やしていきました。そうすることで徐々にスタッフにアドバイスできるようになりました。今はめちゃくちゃ楽しくやらせてもらっているし、ここで働いてくれているスタッフにも感謝しながら働いています。
実はコミュニティホーム長者の森って、はじめはどん底から始まった会社なんですよ。グランドオープンして一か月経った頃、義祖父以外の役員がいなくなってしまった。いわゆる骨抜きの形にされてしまったんです。ケアのクオリティもバラバラで低く、周りからも「つぶれる」と言われていたほどです。オープンして5~6年間は経営者としての正念場でしたね。
だから、自分は藤枝から婿に入った形になるんだけど、ヘルパー2級をとって、25歳のタイミングで「経営者」として介護の現場に入ることにしました。でも、たかだかヘルパー2級をとったくらいでは周りはついてこない。実務の経験を積み上げながら、介護福祉士やケアマネージャーの資格をとって、資格と経験値を増やしていきました。そうすることで徐々にスタッフにアドバイスできるようになりました。今はめちゃくちゃ楽しくやらせてもらっているし、ここで働いてくれているスタッフにも感謝しながら働いています。
暮らしに寄り添う仕事
長者の森は、オープン当時から介護と保育を融合させた共生施設としてスタートしたけど、7年くらい前に入居者の方から「ここは牢屋みたいだな」って言われたことがあるんです。もう、頭を金づちで殴られたような感覚、衝撃的でした。「え、なんで?ここ子どもの声も聞こえるし、いい施設じゃん」って、介助しながら心で思いましたよ・・・
その日は、夜勤明けでその入居者の方を起こして、着替えを手伝っていたんです。認知症の方だったから、時間も季節もわからない。5分前のことも忘れてしまうから、食や服薬管理をしっかりしないと命の危険もありえます。その方の日常の生活サイクルを徹底管理しないと死に直結するって思ってました。介護の仕事はその方の暮らしを守るんだ!なんて大変おこがましい考えでした。そこにその方の想いなんて反映されない。業務優先・・・業務の手が空いたら想いを反映する・・・そんなレベルでした。以前はそんな勘違い介護人でした。笑
でも、この言葉(ここは牢屋みたいだな)が後々、ボディブローのように効いてきて……、介護人として気づいたんですよ。それまで自分はこの入居者の方を「仕事でかかわる別世界の人」、いつか自分が40年後、通る道とは思っていたなかった。介護現場の最前線にいる自分がこの現状を変えていかないと、いつまで経っても介護の未来は変わらない、と思うようになりました。
それ以来、今までは命を守る、つまり管理することが正義だった施設を、その方らしくその暮らしに寄り添うようになったんです。「終わり良ければ総て良し」という言葉があるように、管理は最低限にするけれど、「その人らしさ」にこだわって、最期の人生を演出する。それが長者の森の風土です。
その日は、夜勤明けでその入居者の方を起こして、着替えを手伝っていたんです。認知症の方だったから、時間も季節もわからない。5分前のことも忘れてしまうから、食や服薬管理をしっかりしないと命の危険もありえます。その方の日常の生活サイクルを徹底管理しないと死に直結するって思ってました。介護の仕事はその方の暮らしを守るんだ!なんて大変おこがましい考えでした。そこにその方の想いなんて反映されない。業務優先・・・業務の手が空いたら想いを反映する・・・そんなレベルでした。以前はそんな勘違い介護人でした。笑
でも、この言葉(ここは牢屋みたいだな)が後々、ボディブローのように効いてきて……、介護人として気づいたんですよ。それまで自分はこの入居者の方を「仕事でかかわる別世界の人」、いつか自分が40年後、通る道とは思っていたなかった。介護現場の最前線にいる自分がこの現状を変えていかないと、いつまで経っても介護の未来は変わらない、と思うようになりました。
それ以来、今までは命を守る、つまり管理することが正義だった施設を、その方らしくその暮らしに寄り添うようになったんです。「終わり良ければ総て良し」という言葉があるように、管理は最低限にするけれど、「その人らしさ」にこだわって、最期の人生を演出する。それが長者の森の風土です。
暮らしたくなるコミュニティを焼津に
長者の森では地域交流の場を創ろうと毎週日曜日にカフェを運営したり、森de朝市を開催しています。「普通、介護施設はそこまでやらないだろう」というようなことも行います。献身的に会いにくる奥さんを喜ばせようと、56回目の結婚記念日にウエディングドレスをもってきたり、病院や介護施設を紹介する『メディサポ静岡』を発行したり。本人だけでなく、家族や地域を喜ばせるような取り組みをしています。
自分自身は藤枝生まれ・藤枝育ちで、介護の世界を知らない若造でした。この介護の仕事は家業になってしまったので仕方なくやるしかなかったのですが、今は「業界全体をいい意味で変えていこう」という気持ちが強いです。実績を積み上げていくうちに、「こういう介護をやりたかった」って泣きながら話してくれるスタッフも出てきました。仕事が好きで、休日もつい仕事をしてしまうくらい(笑)。もちろん、海遊びが好きだから、船を出したりもしますけどね。
すべてのきっかけは、「ここは牢屋みたいだな」っていう言葉。もしかしたら若年性認知症になるかもしれない、自分もスタッフもみんな、明日介護が必要になるときがくるかもしれない。だからいま、「自分が暮らしたい場所」をつくりあげていく必要があるとつくづく思います。
自分自身は藤枝生まれ・藤枝育ちで、介護の世界を知らない若造でした。この介護の仕事は家業になってしまったので仕方なくやるしかなかったのですが、今は「業界全体をいい意味で変えていこう」という気持ちが強いです。実績を積み上げていくうちに、「こういう介護をやりたかった」って泣きながら話してくれるスタッフも出てきました。仕事が好きで、休日もつい仕事をしてしまうくらい(笑)。もちろん、海遊びが好きだから、船を出したりもしますけどね。
すべてのきっかけは、「ここは牢屋みたいだな」っていう言葉。もしかしたら若年性認知症になるかもしれない、自分もスタッフもみんな、明日介護が必要になるときがくるかもしれない。だからいま、「自分が暮らしたい場所」をつくりあげていく必要があるとつくづく思います。

石原 孝之さんがオススメする焼津のイイトコ
「浜当目海水浴場」
海が好きな石原さんが選ぶ「焼津のイイトコ」は浜当目海水浴場。夏はよく子どもと遊びにいったそうで、犬の散歩でもよく行くのだそう。「一人でも、仲間や家族でも楽しめる場所です」と教えてくれました。写真は石原さんの愛犬・モカ。
海が好きな石原さんが選ぶ「焼津のイイトコ」は浜当目海水浴場。夏はよく子どもと遊びにいったそうで、犬の散歩でもよく行くのだそう。「一人でも、仲間や家族でも楽しめる場所です」と教えてくれました。写真は石原さんの愛犬・モカ。