2017.03.14
海蔵寺

焼津市東小川に立つ、海蔵寺というお寺をご存知でしょうか。
嘉元3年(1305年)、今から700年以上前に創立されたこのお寺は延命地蔵菩薩で有名です。昭和44年には本堂、堂内にある厨子などが市指定文化財に選定され、市民にとってなくてはならない存在となっています。
さて、この海蔵寺。もとは安養寺と呼ばれていたそうですが、どのような縁があって現在の名称になったのでしょう。また、作家・小泉八雲の代表作『雪女』に登場することでこのお寺をご存知の方も多いはず。
今回は、そんな改名の理由や、海蔵寺に関するエピソードなどをご紹介したいと思います。
嘉元3年(1305年)、今から700年以上前に創立されたこのお寺は延命地蔵菩薩で有名です。昭和44年には本堂、堂内にある厨子などが市指定文化財に選定され、市民にとってなくてはならない存在となっています。
さて、この海蔵寺。もとは安養寺と呼ばれていたそうですが、どのような縁があって現在の名称になったのでしょう。また、作家・小泉八雲の代表作『雪女』に登場することでこのお寺をご存知の方も多いはず。
今回は、そんな改名の理由や、海蔵寺に関するエピソードなどをご紹介したいと思います。
改名のきっかけは木のお地蔵さん?
明応9(1500)年の夏、焼津の海沿いにある村、城之腰の沖で毎晩謎の光が現れるようになります。村人たちがそれを不思議に思っていたある日のこと。とある漁師さんがいつものように仕事をしていました。網をしかけてしばらく、魚がかかっているはずのそれに手をかけてみると、変にずしりと重たいことに気がつきます。
見ると、そこには1メートルほどもある木のお地蔵さまが。驚いた漁師さんは急いでそれを引き上げ、小さな仮の本堂を建ててお地蔵さまを奉りました。
それからいくらか経ったのち、ひとりの村人の夢にお地蔵さんが現れ「安養寺はわたしと縁のあるお寺です。わたしをそこへ移したならきっとあなたたちを守りましょう」と話したといいます。村人たちはそれを聞き入れ、お寺へ運びました。
そんな縁あって、安養寺は「海からあがったお地蔵さま」にちなみ、海蔵寺と呼ばれるようになったのだそうです。
小泉八雲の小説『漂流』に登場
1850年ギリシャで生まれた小泉八雲は、40歳のときにアメリカの出版社の通信員として来日。その後、日本に移住し英語教育に尽力しながら、欧米に日本文化を紹介する作品を多く残しました。また、日本における再話文学の作家としても知られ、その文献は今もなお多くの人に愛されています。
そんな八雲の作品『漂流』は、彼が焼津に滞在していた際に聞いた海蔵寺に関するエピソードがもとになっていたのです。
1859年、焼津港から讃岐へ向かう途中1艘の船が遭難し、助かったのはそのうちのただ1人。その男性が2日2晩海を泳ぎ続けるなかで、たったひとつ頼りにしていたのは1枚の板子でした。そのときの板子は、その男性がいつもお祈りしていた海蔵寺に奉納され(現在は焼津小泉八雲記念館に所収)、八雲はこの体験談を聞き『漂流』に書き残したといいます。