不動明王は真言宗の中心的存在である大日如来の化身。恐ろしい形相は煩悩を絶つ、強い意志を表し、力ずくでも人々を仏の道に導こうとする勇ましい神様です。さらに、明治14年に再建された本堂は密教寺院の建築様式が取り入れられており内陣、外陣に分かれた構造になっています。外陣の天井には「格天井(ごうてんじょう)の絵」が描かれています。創建当時の長徳寺は真言宗だったことを裏付ける特徴が今も残っています。
毎月28日はお不動様の縁日ですが年に一度2月27日、28日は大縁日として盛大なお祭りになります。夜宮の27日(火)、お寺の入り口には幟(のぼり)が立ち「大聖不動明王」の文字が大井川からの西風にはためきます。この日は屋台の出店は無く人影もまばらでした。翌28日、本堂に至る参道には屋台が並び参拝者は後を絶たず普段は静かなお寺も賑やかな雰囲気に包まれました。
さらに、市の有形文化財にも指定される「お不動さん(不動明王像)」にはこんな言い伝えが残されています。
“この地を大豪雨が襲い大井川は氾濫し田畑は流出し疫病も発生し人々は大変苦しんだ。たまたまこの地を巡行していた空海は薬草や病気の治療法を施して住民を救ってくれた。そして不動尊像を自ら彫り授けてくれた。住民は大変喜びお堂を建立し祀り続けた。”(焼津市仏教会「焼津市の寺院」より)
当時、空海は唐から日本に戻り高野山や京都で真言宗を広める活動をしていました。よって空海がはるばるこの地を本当に訪れたのか疑問は残ります。空海の残した伝説は日本全国にあり中には人間技とは思えない伝説もありますが上記言い伝えは現実的で真実味があります。
真言宗のような密教は日本に伝来すると日本の古神道と融合する「神仏習合」の現象がおこりました。明治時代に入り政府による神仏分離令で神社とお寺の区別が明確になりました。それに伴い全国で廃仏毀釈運動が起こり多くのお寺や仏像が破壊されました。このような時代背景もあり焼津地区にあった当時真言宗だったお寺や不動明王を祀るお寺は明治以降ほとんど廃寺になってしまいました。その中で長徳寺は平安時代からの様式を残しながら今もなお大切にされ愛されている郷土の守護神です。
【長徳寺】
所在地:焼津市飯渕20番地
交通:焼津市自主運行バス 大井川焼津線 飯淵下車(徒歩5分)
しずてつジャストライン 藤枝吉永線 飯淵下車(徒歩5分)
電話:054-622-0745

焼津まちかどリポーター
大畑 高広
焼津市下江留(旧大井川町)出身・在住 地元を離れている間に大井川町が焼津市と合併。いつしか焼津市民となる。地域の事をもっと知りたいとの思いでまちリポに参加。
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