片山選手は、現在も母・昌代さんが勤務している社会福祉法人小川大富福祉会のなかよし保育園(西小川)を卒園し、焼津市立焼津東小学校卒業。その後、国内有数のゲレンデがある愛媛県に移住したそう。パブリックビューイングではご家族はもちろん、片山選手と縁のある旧友が駆けつけていました。
来場者は、紙を筒状に丸めた、市職員手作りの応援グッズを持ち、現地の様子が映し出される大型スクリーンに見入っていました。13日の予選では片山選手の滑走前になぜか強風が吹き、舞う雪が落ち着くまで待つという場面も。会場では、片山選手の滑走を心配する声、どよめき。
満を持して片山選手の滑走!リップというハーフパイプの先端から体が高く高く空中にあがり、空中でたっぷりとした時間をつかい、体を大きくそらせるポーズやジャンプが次々にきまります。会場が沸き起こり、賞美の音がなり響きます。焼津市から連想しにくかったスノーボードハーフパイプという名のスポーツが、片山選手の演技によって、人々を魅了していった瞬間でした。
ジャンプし着地に失敗すれば、ビルからコンクリートにたたきつけられるほどの衝撃があり、常に危険と隣り合わせのスノーボード。焼津から世界に進出した片山選手のおじいさん、おばあさんは、「予選とおっただね」と驚く一方で、「ケガと事故が心配」と語っていました。ハーフパイプの得点は滑走の合計点ではなく最高点で争います。金メダルの期待に応えようと、無理なジャンプしないでほしいというのがおじいさんの想いだったのかもしれません。
2018年、雪の降らない焼津からウインタースポーツのオリンピック選手が輩出されました。プロスポーツ、世界で活躍するということは誰しもがなしえることではないけれども、誰もできないことではないという証明してくれています。片山選手の輝きとともに、プロセスを大切にし、可能性をはぐくみ、そっとよりそい、応援する人々の姿を感じることができました。

焼津まちかどリポーター
FREEBYRD
横浜市出身で5歳から藤枝に移住。静岡県立大学を卒業後、営業職として勤務。幼少期からリトミック教室や合唱など音楽が好きで、学生時代から今もコピーバンドを組み、地域のイベント等で演奏している。
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