2021.03.11

焼津市地域おこし協力隊「ぎんちゃん」ってどんな人?

 

2020年7月、焼津市出身の鈴木銀次郎さんが「焼津市地域おこし協力隊」に任命されました。

通称「ぎんちゃん」が主に取り組むのは、「移住支援」。焼津市へ移住者・定住者を増やすため、SNS等を活用した移住・定住に関する情報や、焼津の魅力発信、移住希望者への対応、地域住民や地元事業所と連携した取り組みなどを行っています。

地域おこし協力隊「鈴木銀次郎」さんの誕生まで。

明るい笑顔と、優しく親しみやすい雰囲気が印象的な銀次郎さんですが、実は意外な過去がありました。

銀次郎さんは、県内の大学を卒業後、夢だった「体操の先生」に。

しかし、忙しさから肺炎にかかり、気持ちが折れて、重度うつ病と診断されてしまいます。

そんな銀次郎さんが、2017年5月末に、一人の青年と出会います。
竹中俊さん(社会活動家)です。

takenakashun | Linktree

 

当時を振り返って、「自分から俊君に連絡を取った自分を褒めたい。彼と出会わなければ、今の自分はなかった。」とおしゃっていました。

2017年6月、東北へ。

竹中さんの「世の中なんとでもなる。」という言葉に触発されて、銀次郎さんが向かったのは東北。

「東日本大震災の現場を見なくては」

2017年6月、東北へヒッチハイクで向かいました。

被災した方々の車にも乗せてもらい、当時の話を聞いて、
「人間いつ死ぬかわからない。やりたいことをやろう。幸せにならないと。」
いうことを実感します。

また、この時、初めて知ったのが「ゲストハウス」の存在。

宮城県気仙沼にある「架け橋」というゲストハウスに宿泊し、地元の方々や宿のスタッフの方々の歓迎に、救われ、地元に帰ってゲストハウスをやってみたいと思ったそうです。

2017年7月、九州へ。

東北へ向かった一ヶ月後、九州北部豪雨がありました。

2017年7月5日から6日にかけて福岡県や大分県を中心に、記録的な豪雨に見舞われました。

「何かできることはないか」

銀次郎さんはギター1本だけを持って、ヒッチハイクで九州を目指します。

路上で歌を歌って募金を募り、そのお金を寄付。

熊本県阿蘇市に本店を構える「阿蘇び心」に泊まって、福岡県朝倉市杷木地区での土砂のかき分け等の災害ボランティアを経験します。

警報が鳴る中での作業もあり、東北でも感じた「自分にできることをやらなくては。いつ死んでおかしくない。」という気持ちが強くなり、「明日死んでもいい」という生き方を意識し始めます。

2018年4月、九州へ移住。

2017年12月、「阿蘇び心」のオーナーさんが講師を務めていたイベントに参加。

オーナーさんから「九州の阿蘇び心で、実際にスタッフを経験してみないか。」と声を掛けられ、九州でノウハウを学ぶことを決めます。

2018年4月から約2年間九州で働き、「阿蘇び心」の姉妹店である
博多の宿「B&C Gakubuchi」での勤務を経て、熊本に移住。

「阿蘇び心」」熊本店の店長を務め、旅行サイトで熊本県内の口コミ1位の評価を得ます。

熊本での移住で気づいた「焼津の魅力」

熊本で生活する中で、焼津にはたくさんの魅力があり、一番好きな町だと気づきます。

そんな時、焼津に地域おこし協力隊という制度があることを聞き、2020年7月からの地域おこし協力隊に応募。

そして、2020年7月、焼津市から委嘱され「鈴木銀次郎隊員」が誕生しました。

◆「地域おこし協力隊」とは

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html

銀次郎さんの思う、焼津の好きなところ

銀次郎さんに、「焼津の好きなところ」や「ヒッチハイク旅や熊本への移住経験から焼津のイメージが変わったか」をお聞きしました。

一番好きなところは「空気感」(難しいお答えでしたので、家で調べてみました。「人や場所が持つ雰囲気」)

「歩くスピード、におい、気温など、全て丁度いい。居心地がいい。イメージ通りの焼津が大好き。」

銀次郎さんのTwitter上では、「好きな町で好きなことができる!こんな幸せなことってある???」と呟いているのを見つけました。

焼津への熱い想いが感じられました。

今は、日々の生活をInstagramから発信することが多く、「影響力、発信力をつけたい。」とおっしゃっていました。

早速、Instagramを確認してみました。2021年2月23日には、清水で開催された富士山の日のイベントで司会をされたり(後で触れるけん玉つながりの仕事だったそうです。)、焼津の駅前で地元飲食店のランチをテイクアウトできる「焼津まちなか社食」のお手伝いをしたり、鰹ラーメンを紹介したりと、日々更新されており、精力的に活動を続けている様子がうかがえます。

◆銀次郎さんのInstagram
ぎん@焼津市地域おこし協力隊(@gin_yaizu)https://www.instagram.com/gin_yaizu

移住・定住支援の活動としては、県外からの移住相談をオンラインで受け付けていると聞きました。

仕事の合間には、小学生とも遊ぶそうです。
「子供って、僕が本当に楽しんでいないとそれを察知しちゃうんです。だから子供に負けないくらい、真剣に遊ぶんです。子供の喜ぶ顔が大好きです。」

悩みを子供に打ち明けることもあるそうです。

「損得ではなく、心で答えてくれるので、真っ直ぐな意見で、発想も素晴らしく
忘れていた部分を思い出させてくれるんです。」

保育士の資格を持つ、銀次郎さんらしい、一面を垣間見ることが出来ました。

銀次郎さんとけん玉

銀次郎さんを語る上で欠かせないのは、「けん玉」
銀次郎さんを知る人であれば、「銀次郎さん=けん玉」だと思います。
銀次郎さんの名刺にも「けん玉先生」の文字があります。

けん玉について、お聞きしました。

けん玉との出会いは、意外にも遅く、博多のゲストハウスでの研修だったそうです。
ゲストハウスに訪れる日本人はもちろんのこと、外国の方へのコミュニケーションツールの一つとして学ばれました。

外国の方でも、お手本を見せてけん玉を渡すと、見よう見まねでやってくれるそうで、失敗すれば、もう一度お手本を見せ、成功すれば一緒に喜ぶ。シンプルながら、立派にコミュニケーションが成立するそうです。

2019年、清水にある「BMXとけん玉の専門店 MERSYS メルシス」で“フリースタイルけん玉”(アクロバティックな魅せるけん玉のこと)に出会い、単純に「面白かったから」という理由から始めます。「子供たちとも、楽しくてカッコイイけん玉を一緒に出来たら嬉しいとおっしゃっていました。

また、銀次郎さんのお話によると、けん玉が出来た達成感や、目標を持ってやることが、「フレイル予防」にも良いそうです。

(フレイル:人は年を取ると、体の力が弱くなり、外出する機会が減り、病気にならないまでも手助けや介護が必要となる。この様に心と体の働きが弱くなってきた状態をフレイルと呼ぶ。)

銀次郎さんのこれから

地域おこし協力隊として情報発信を続けることはもちろんですが、銀次郎さんに「これからやってみたいやってみたいこと」をお聞きしました。

 

1つは海に関すること。

環境省の調べによると、世界では年間800万トンものプラスチックごみが海に流出しており、「2050年には魚の数よりゴミのほうが多くなるのではないか?と言われているそうです。

「資源を守ろう。海の豊かさを守ろう。焼津の海を、日本の海を、世界の海を。何かできることはないか。」

懸命に考える銀次郎さんの姿がありました。

 

「焼津でけん玉のギネス世界記録を作りたい」

2019年広島で、一斉に玉を大皿に乗せるイベントが開催されました。
結果695人が成功。ギネス世界記録を大幅に更新しました。
銀次郎さん曰く「1000人呼べそう。」なんとも頼もしいお言葉です。

2023年5月14日(けん玉の日)が日曜日だそうで、「この日に出来たらいいな。」とおっしゃっていました。

そして、最後に教えていただいたのは、「将来、ゲストハウスを作りたい」といいう夢。
「焼津で幸せに暮らしたい。毎日楽しく。」と現在、物件を物色中だそうです。

笑顔が大好物の銀次郎さん。みんなの笑顔をエネルギーにして、銀次郎さんでなくては出来ない地域おこしをしてくれるものと確信しました。

がんばれ!銀次郎さん!!!

まちかどリポーター:やすぶー
この記事を書いた人
焼津まちかどリポーター 
やすぶー

浜松市出身。焼津に移り住んで27年。「焼津まちかどリポーター募集」の記事を見て、子どもの頃の夢「新聞記者になりたい」を懐かしく思い出しました。焼津のことをもっと知って、人生を豊かなものにしていけたらと思っています。
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